本当は怖い計算ドリル ~その4~ 本物の計算力・にせものの計算力

「先生、できた!」

「え、もう?」

時々、恐ろしく計算が速い子を見かけます。

Jちゃんも、そういうタイプの子でした。

彼女のノートを見ると、ふつうは筆算ですべきところを暗算でやっていることがわかります(もちろんややこしい計算は、きちんと筆算でしているのです)。
ふつうなら、注意するところです。きちんと筆算しようね、と。

だけど、Jちゃんのような子は、少し事情がちがいます。
他の子が筆算でするところを、正確に筆算なしで計算することができるのです。
ゆっくりと丁寧にやっているのです。

だけど、速い!

「速い計算には、ご用心!!」という記事を、以前書きましたが、
速い計算をする子どもたちの中にも、こちらが本当にうなってしまうような素晴らしい計算を
してしまう子が、たまにですが、いることも事実なのです。

なぜ、Jちゃんはそんなに速く計算ができるのでしょうか?

どうも、見えてしまっているようなのです。

答が。

その秘密をさぐろうと、Jちゃんにたずねてみました。

「70÷4は、筆算していないけど、どうやって計算したの?」

「だって、先生、70を4つに分けるわけでしょ。
半分にして、半分にしたらおしまいよ」

なるほど。そういうふうに考えるのか?
言われてみると、納得です。

こちらは長い間、学校で習ったとおり、筆算をしてせっせと答を出していたから、
そういうスマートな計算方法が頭に浮かびにくくなっているようです。

それでは、70÷4の計算をしている時のJちゃんの頭の中をのぞいてみましょう。

70÷4だから、4つに分けるということは、半分にしたものを半分にすればいいわけだ。
じゃ、まず70を半分にしよう。70は60と10を合わせたものだから、
60を半分にして30。残りの10も半分にして5。だから、30と5を合わせて、35。
あとは、35を半分にするだけ。35は34と1を合わせたものだから、
34を半分にすると、17。残りの1の半分は0.5。最後に17と0.5を合わせて、
答は17.5だ!

みたいな感じで行われているのではないかと、想像します。
このように書くと、ゆっくり考えているように思われるかもしれません。
だけど、この思考の流れが一瞬のうちに行われているのです。

いえ、厳密に言えば、こうした流れをいちいち意識はしていないようです。
かつて、同じような思考の流れをたくさんたどったから、無意識の中に織り込まれているのでしょう。

例えば、本を繰り返し読んでいるうちに、1回目に比べるとかなり速く読めますよね。
本の中に書かれていることは、一度理解されてしまっているので、
今度は脳の方がそれ以外の情報を求めて、細部をスキャンしにかかっているのです。
一度理解されてしまったものは、意識されなくても、その文脈をたどっていけるという
不思議な能力は、だれもが持っているようです。

同じようなことが、計算の世界でも起こります。
70を半分にすることを60と10に分けて、それぞれを半分にして、
合わせるような手順を何度もしているうちに、70を見たら、
瞬時に、70の半分は35だと、見えるわけです。

もうひとつ大切なことがあります。

70を半分にするという、一見何の変哲もない計算の流れの中に、
実は重要な計算の法則がふくまれています。

70÷2
=(60+10)÷2
=60÷2+10÷2

そう、分配法則です。

この時点で、Jちゃんは分配法則は習っていません。
だけど、習う前から、当たり前のように行っているわけです。

これこそ「解き方を習わないで、試行錯誤を繰り返す学習(これを私は、「道草学習」と呼んでいます)」の真骨頂です。

自己発見型学習とでもいいましょうか。
解き方を知らなくても、自分で絵や図を描いて考えていくうちに、自分でどんどん発見するから、教えてもらわなくても、いろんな法則を無意識のうちに会得できるのです。

70÷2の意味を考えないで、ひたすら筆算して答を出していたのでは、
分配法則は、永遠に見えてきません。

よく考えてみれば、筆算というのは「手順の暗記」です。
「わかっていなくても、できるように」仕組まれた計算方法なのです。
要するに、個々の単純な四則計算を計算ドリルで、考えなくても答が出るように訓練し、
あとは筆算の決められた手順にしたがって計算していくだけで、
複雑な計算でも自動的に答が出るように仕組まれた装置としてとらえてもいいかもしれません。
(今の算数教育はそのような計算力のことを基礎力としてとらえているようです。
だから、判で押したように、毎日、計算ドリルの宿題が出るのでしょう。)

だけど、筆算が考える計算方法ではないからといって、
いきなりどの子に対してもJちゃんのように考えようね、といっても無理な話です。
数に対する感覚が正常に育ったからこそできる技なのです。

ですから、不本意ながら、子どもたちには筆算できちんと計算しようね
と言い続けるしかありません。

だけど、思うのです。

仮に、低学年の時から筆算を使わないで、
図を描いて、
計算の意味だけを考え、
いろいろと悩みながら、
楽しく計算していけば、
だれもがJちゃんのようになれるのではないだろうか。

そして、

Jちゃんのような感覚になったときに初めて、
筆算を教えてあげれば、乾いた砂が水をさっと吸収するように、
その時初めて、筆算の意味も本当に理解できるのではないか。

これこそが、本物の計算力ではなかろうか。

一方、計算ドリルのように、大量に計算問題を解くということを繰り返していては、
数に対する繊細な感覚を育てることはできません。

3×4は「さんしじゅうに」と、簡単に12という答がでます。

これをいくら積み重ねても、理解しているわけではないですから、にせものの計算力です。
にせものをいくら積み重ねても、本物にはなり得ません。

だけど、一転して、計算の意味を考えれば

3×4は、○○○ ○○○ ○○○ ○○○ のイメージでとらえることになります。

このようなイメージを頭の中に、ゆっくりじっくりと積み重ねていくことで
本物の計算力が育っていくのです。

では、具体的にどうすれば、このような本物の計算力が育っていくのか。

そのことについては、これから後に予定している「考える力をつける究極的な文章題」の中で述べていきます。

小学校における低学年の算数教育、

あまり話題にされることが少ないようですが、

問題点が多そうです。

この記事は旧ブログに書いた記事(2005年)を編集したものです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする