本当は怖い計算ドリル ~その6~ 九九神話の崩壊

九九を覚えていないのに、東大へ入った人がいる」なんて話を

信じることができますか?

実は、いらっしゃるのです。

現在、東京大学の薬学博士、池谷裕二先生です。
東大薬学部に進学するときにも大学院に進学するときにも、
首席だったという驚くべき頭脳の持ち主です。

ところで、

九九といえば、

小2の算数では、ある意味、一大イベントです。

子どもたちの間でも、競って早く覚えようとするものです。

この時期に、九九を覚えなくては、一生涯、学歴の道から外れてしまうと思ってしまうのか
日頃あまり教育に熱心でないお母様も、このときばかりは、
お家でも子どもに九九をたくさん唱えさせているのではないでしょうか。

ですから、小1、いえ、なかには幼稚園の頃から、九九を覚えているお子さんも
最近では珍しくありません。
昨今の早期教育ブームの影響なのかもしれませんね。

九九体操、九九数え歌、九九はやおぼえマシーンなどなど・・・。

とにかく、九九を覚えなければヒトであらずとばかりに、
たくさんの子どもたちが九九の暗唱にはげみます。

ちっちゃな可愛い子どもが、口を大きく開けて、九九を一生懸命に唱えている姿は、
微笑ましくもありますが・・・。

日本人の数学力は、世界でもずば抜けて高い。
これも、九九の暗唱のおかげだ!

という話はだれしも一度は耳にされたのではないかと思います。

九九を覚えることが、算数(数学)をマスターするための最低条件。

ほとんどの人が、そう考えているでしょうし、私もそう考えていました。

だけど、あることがきっかけで、九九の暗唱がもしかして、かけ算の本当の理解から
遠ざけているかもしれないと予感した頃、

その予感を確信に変える、ある1冊の本に出会ったのです。

その本のタイトルは、

「海馬」

コピーライターで有名な糸井重里氏と東大の薬学博士、池谷裕二氏の対談本です。
脳に関していろいろなおもしろい話が楽しめるだろうと気軽に読み始めた本なのですが、

なんと、この本に驚くべきことが書かれていたのです。

「考える学習」を徹底的に推し進めていけば、こんな素晴らしい境地が待っているのかと教えてくれる本です。

これから、ところどころ引用して説明していくことにします。

 糸井 池谷さんは昔からよくできる子だったのですか?

 池谷 小学生の時は、いつもビリから数えて何番目という程度でした。

 糸井 え?

 池谷 実際、ぼくは今でも九九ができないんです。当然、算数もあまり解けなかったです。

それから中学校に上がり、さすがに危機感がつのり、勉強に目覚められたということですが、九九を暗記することができなかった池谷氏は、かけ算を自分なりの解き方で
答を出していったというところはまさに圧巻です。

 糸井 九九ができないと言うと、池谷さんって「9かける8」をどう計算するんですか?

 池谷 90から9を2回(18)を引くと「72」って出てきます。

 糸井 今でもやってるんだ?

 池谷 ええ。最近は電卓に頼っちゃうけど。

この場面は、まさにJちゃん(「本当は怖い計算ドリル ~その4~」参照)を連想します。
もっともJちゃんもさすがに九九は覚えていたでしょうが。

この方法の素晴らしいところは、自分で意味をあれこれ試行錯誤しながら考えていくうちに、
9×8=9×(10-2)=9×10-9×2という分配法則を無意識のうちに利用してしまっているところです。
学校で分配法則を習ったときに、すでに頭の中にあるわけですから、
当たり前のような感覚でしょうから、当然覚えなくてもいいということになります。

それから、3つの方法を組み合わせて、すべてのかけ算の答を出す方法を説明しています。

 池谷 九九を81個も暗記するより、僕の方法なら10倍することと2倍することと半分にすることの3つの方法だけでぜんぶできる。ぼくはぜんぜんものを憶えられませんから、方法を憶えるしかないんです。

このような考えで、かけ算の答を導き出していくと、いろんな道筋が見えてきます。
たとえば、7×4で説明します。

「7+7+7+7(7を4回足す)」
「(7+7)×2(7足す7の答を2倍する)」
「7×10÷2-7(7を10倍したものを半分にして、それから7を引く)」

どうです?頭が鍛えられそうな気がしませんか。
(確かに、時間は滅茶苦茶かかりますが・・・。)
何の変哲もない単純なかけ算に、こんなにいろいろな方法で解けるのは、驚きです。
さらに、7×4=28ということで、28の数のしくみが自然と見えてくるわけで、
同時に4×7の計算でも28の姿がもっと明らかになってきます。

28は、

「7が4個集まった数」
「7が2個集まり、またそれが2個集まった数」→「14が2個集まった数」
「7を10個集めて半分にしたものから、7をのぞいた数」→「35から7をのぞいた数」
「4が7個集まった数」→「8が3つ集まった数に4を加えた数」など
「4を10個集めた数から、4を3個集めた数を引いた数」→「40から12をのぞいた数」
「4を10個集めた数を半分にした数に4を2個集めた数を加えた数」→20に8を加えた数」
などなど・・・。

28という数が持つさまざまな顔。

28という数の豊かなイメージが幾層にも折り重なって、無意識という池にゆっくりと吸収されていく。

なんと素晴らしい光景だと思いませんか。

(九九を覚えているだけだと、つまらないですね。「シチシニジュウハチ」でおしまいです。)

数の世界という迷路にさんざん迷ったぶんだけ、数の世界のことを豊かに知ることになる。

そういう学習法です。

そして、

それは

だれにでも

簡単にできる方法なのです。

かけ算の意味を教えて、九九を教えなければいいだけですから。

この面倒な手続きを何度も何度も、反復していくと、どうなっていくか。
このあたりで整理してみましょう。

1.足し算、引き算の暗算能力が高められる。

2.ひとつの数に対して、数のいろいろなイメージが無意識にたくわえられていく。

3.分配法則・結合法則がほとんど無意識のうちに理解される。

4.考える力がつく。

5.かけ算の意味をいつも意識しているので、深いレベルでのかけ算を習得することができる。

6.絶えず新しい発見があるので、数に対する感覚がとぎすまされ、数の変化に対する予測がつきやすくなる。

このように、「考えない」反復とちがって、「考える」反復の威力は絶大なるものがあります。

まもなく池谷先生は、この方法で、九九を瞬時に言えるのと同じ速さで、
答が出るようになったということです。

28という答を導き出すために、いろいろな道筋を試します。
まもなく最短距離を選び取ることができるようになり、
同時に暗算能力が飛躍的にアップし、
最終的には、瞬時に答が思い浮かぶようになったのでしょうね。

さらに驚くべきことに、2けた×2けたのかけ算も瞬時に答がでるようになったそうです。

そのことについて、別の著作(「高校生の勉強法」(東進ブックス))で説明されています。
少し引用します。

 この3つの法則を使えば、23×16のような2けたのかけざんも

  23×16
 =23×(10+6)
 =23×(10+10÷2+1)
 =23×10+23×10÷2+23
 =230+115+23
 =368

 と、九九の場合とまったく同じスピードで答が出ます。九九を丸暗記した人よりも、むしろ計算スピードが速いくらいです。

「考えて答を導き出す」かけ算で、頭が鍛えられていった結果、
「考える力」がとてつもなくアップしたのでしょうね。

数学も公式は覚えたことがなかったというほどです。

 池谷 最小限のことだけを覚えれば、あとは理詰め(方法の組み合わせ)で導き出せばいいから。ぼくは数学の公式もほんとうに憶えないのですが、毎回毎回、試験のたびに公式を導き出していればいいわけなんです。導き出す方法はわかっているんですから。

 糸井 公式を丸暗記しないで、1回ずつ導き出していたんだ?

 池谷 はい。みんなそうしていると思っていたんだけど、あとで気づいたら、どうも違うみたいなんですよ。

 糸井 それは、すごくいいことですね。方法を毎回たどるというのは、頭がよくなりそうな気がする。

 池谷 毎回公式を導き出すから、丸暗記しているよりも試験で時間がかかってしまうのですが、でも、ある時気づいたんです。「公式を丸暗記している人よりも、公式を導き出せる人のほうが、原理を知っているから応用力があるんじゃないか?」って。丸暗記をしていると、その範囲でしか公式を使えないですから。だからまぁ、私のやり方も、悪い方法じゃないなぁ、と思うようになっていったのです。

公式を覚えると融通が利かなくなることは、このブログ(あのね、「速さの公式」なんか覚えちゃダメなんだよ!)でも述べましたので、
合わせてこの問題についてお考えになってみてください。

また、自らの高校生時代に振り返って、次のように語っていらっしゃいます。

「考える学習」の究極の姿が見えるようです。

 池谷 …。ぼくは数学がいちばん得意だったんですけど、問題がぜんぶおなじに見えて嫌でした。手を替え品を替えて問題を出しているつもりなのかもしれないけれども、方法論の点では、ぜんぶ一緒に見えてしまうんですね。答がでることがあらかじめわかっているのに解かなければいけないのは、嫌でした。やっぱり、1問15分とか30分とかかかるような難問も出てくるんですね。答えもわかるし、どう解けばいいのか頭の中ではわかっているのに、書く時間がかかる。

もはや凡人では、想像すらできない境地です。(^_^;)

ここで、池谷先生はもともと頭が良くて特別なんだと
思われるかもしれません。

でも、よく考えてみてください。小学校時代はほとんどできなかったわけです。
それが、ひょんなことから、九九を覚えないで学習していくと、
どうなっていくかを自ら実験されたようなものです。

きわまてまれな体験だと思います。

私が知る限り、九九を覚えていない子はひとりも出会いませんでしたから。
(もちろん、中途半端に覚えてしまって、九九があやふや子はいましたが・・・)

つまり、九九を覚えないで、数学に目覚めて勉強していくと、どうなるかの
興味深い実験ともみてとれると思います。

「考える学習」を徹底的に推し進めるとどうなるかという・・・。

「考える学習」は一見おそくて能率が悪いように見えます。
だけど、何度も何度もゆっくりと同じことをいろいろな面から考えていくと、
ある日突然、いろいろな相互関係がぱあっと見えるのでしょうね。
問題を解くスピードも速くなり、難しい問題も解けるようになっていくのです。
そして、ついには、池谷先生のような状態になるのも夢ではないかもしれないのです。
(おそらく自然な状態ではほとんど全員がそのようになるように、
脳の中でプログラミングされているはずなのに、
途中で余計なこと(早期教育・計算ドリル・九九の暗唱など)をたくさんされたために、脳が壊れたような状態になるのでしょうか。簡単なことも、理解できない頭になってしまうこともあるようです。)

九九をあえて覚えないことで、かけ算の計算問題はすべて「考える問題」に変身します。

中途半端な文章題を解くよりも、よほど頭が鍛えられることでしょう。

ここで、誤解されたくないのですが、
九九を即刻止めるべきだという暴論を吐くつもりはまったくないのです。

ただ、問題なのは、
「九九を覚える時期が早すぎる」ということです。

現行のカリキュラムでは、はじめは本当にゆっくりとかけ算の意味を授業の中で教えていくのですが、それが終わるやいなや、もうカエルの合唱よろしく、九九の合唱に入ります。

1年前、学校の授業参観で拝見したときに、男の子などはもうやけくそで、顔を真っ赤にして
九九をさけんでいたのを、今でも鮮明に思い出すことができます。

当然ですが、九九を唱える時、頭の中で「かけ算の意味」は考えられていません。
まったくの丸暗記ですよね。
ですから、何度も何度も九九を唱えて覚えてしまった結果、「かけ算の意味」が
どこか遠くにふっとんでいってしまっているようなのです。

低学年のお子様がいらっしゃる方は
九九を習って、すべてがすらすら言えるようになったとき、
お家でお試しになってみてください。

8×11はいくつと?

「ならっていないから、わからない」と答えたとき、

すでに「九九病」という「考えることのできない病」に犯されつつあります。
(もし、かけ算を理解している子であれば、8×9=72だから、あと8を2回たせばいいと
いうことはわかるはずです。)

公式のところでも述べましたが、

かけ算を当分の間、九九なしで、

図を描いて、
かけ算の意味を考えて、
あーでもない、こーでもないと悩みながら、

かけ算の問題を解いていくと
どんどん数のイメージやかけ算の意味がゆっくりと
頭の中に蓄積されていきます。

そうですね。かけ算を習ってから、1年ぐらい経ったときに、
九九の暗唱に入ってもいいのではないかと思います。

だけど、その頃には、ほとんどの答が見えているかもしれませんから、
もしかして池谷先生のように九九を覚えなくてもいいかもしれませんね。

むかしむかしあるところに、クク王国という国があり、
お城に1羽のオウムが飼われていました。
そのオウムを王様はたいそうかわいがっておりました。
さて、このオウムはたいそう変わったオウムで、
ニニンガシ、ニサンガロク、・・・ククハチジュウイチまで、よどみなくすらすらいえるのです。
ここだけの話ですが、じつは側近たちが来る日も来る日も、
朝から晩まで、オウムに九九を唱えては真似させていたのです。
クク王国では、1年に1度、大きなお祭りがあります。
国をあげてのお祭りの日に、王様は国民に自慢のオウムを見せたくなりました。
さて、お祭りの日です。
王様のオウムが国民の前に現れました。
「さ、余のオウムにかけ算の質問をしてみるがよいぞ!」
さっそく最初の質問が飛んできました。
シシ!
オウムはすかさずシシジュウロク!とさけびました。
おー!と国民の中から歓声があがりました。
次の質問が飛んできました。
ハッパ!
オウムはすかさずハッパロクジュウシ!とさけびました。
おー!と国民の中から歓声があがりました。
またもや質問が飛んできました。
ジュウカケゴ!
側近たちがもだえました。
あ、それは、・・まだ、・・・だめ・・・。
王様のオウムは、壊れたレコードプレーヤーのように
ジュウカケゴ、ジュウカケゴ、ジュウカケゴ、・・・
と同じことばをくり返すだけでした。
王様は恥ずかしさのあまり、ただただ顔を赤くするばかりでした。

今こそ、

クク王国の王様のオウムと共に、

九九神話が崩壊するときかもしれません。

そして、

新しい「かけ算王国」を建設し、

九九の本当に賢い活用の仕方を

これから、

ともに考えていきたいですね。

この記事は旧ブログに書いた記事(2005年)を編集したものです。

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